東北最古のやきものの発祥の地・会津本郷、伊佐須美神社をはじめとする由緒ある社寺が多く残る会津高田、そしてゆるやかな丘陵地に望む果樹の風景が美しい新鶴と、エリアごとに異なる、さまざまな魅力が共存する会津美里町。それぞれの地域に住む人たちが、それぞれのありのままの暮らしぶりを「まちの宝」としてあらためて誇り、そして、町外から訪れるより多くの方々から「また帰ってきたい」と親しみを感じていただける地域づくりのヒントを探すため、2019年11月31日から2日間、長崎県東彼杵郡波佐見町と佐賀県嬉野市を視察訪問しました。

近年、再注目されることの多いこれらのまちは、会津本郷焼同様、開陶400年を超える歴史をもつやきものの産地。そして、やきものとそれ以外の地域資源や地元の人々を結ぶグリーンクラフトツーリズムによるまちづくりを推進する、勢いのある地域でもあります。たとえば、波佐見ではこの施策実施前の15年前に比べ、約60万人観光客数が増加。今では年間を通して、老若男女問わず、100万人を超える人がこの地を訪れるまでになります。

しかし、現在に至るまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。かつては有田焼の一大産地として窯業を中心に発展した小さなそれぞれの地域ですが、時代の変化を受け、ブランド力のある有田焼と名乗ることが許されなくなります。それぞれの産地名を冠した波佐見焼、吉田焼と名前を変え、知名度の低い、小さな産地として新たなスタートをきることを余儀なくされますが、逆境を乗り越えた現在の様子は上述した通り。そうした経緯や課題への向き合い方について、それぞれの地域を盛り上げた方々のお話とともに振り返り、今に至るまでの道のりを学びます。

今回の視察に参加したのは、会津美里町の地域づくりに取り組むコアメンバーと行政職員。今回のレポート(前半)では、そうした現地での学びを追いかけます。

日本の陶磁器のはじまりの地・波佐見町について

長崎県中央部に位置する波佐見町は、四方をぐるりと山に囲まれ、県内で唯一海に面していないという盆地の町。基幹産業は農業と窯業。特に稲作が盛んで、町の南西部には「日本の棚田百選」に選ばれた鬼木棚田が広がります。また、町の人口およそ1万5000人のうち、2〜3割が「やきもの」に関係する仕事に携わるほど、陶磁器・波佐見焼の存在は地域に根ざしています。その生産の歴史は1599年(慶長4年)、豊臣秀吉の朝鮮出兵によって連れ帰られた朝鮮陶工が、この地に登り窯を築いたことをきっかけにはじまったと言われています。

波佐見焼の特徴は、白地に呉須(藍色)で描かれる染付と、庶民の日用の器として愛されるシンプルで丈夫な姿にあります。そして、製造工程は分業制が整い、大量生産が可能なこと。時代に合わせてさまざまな改良を繰り返し、今では、美濃焼(岐阜県)、有田焼(佐賀県)に次ぎ、国内第3位の生産量を誇る一大産地となり、出荷額は年間45億円を超えるとも言われています。グッドデザイン賞を受賞した「Common」や、通常は商品を作らない産地問屋が生み出した「HASAMI」など、新たな波佐見焼のブランドがいくつも誕生し、さらに新たな観光拠点となる「西之原」地区が賑わいを見せるなど、波佐見エリア全体の知名度も高まっています。

30万人以上の訪問客で賑わう陶器まつりの中心地となる、やきもの公園。古代から近世にかけて、世界を代表する窯12基を再現した、野外博物館「世界の窯広場」は世界的にも珍しい。

捨てることから始まった、新たなスタート

約400年の歴史をもつ波佐見焼ですが、立地上の関係性により、江戸時代には伊万里港から船積みされていたことで「伊万里焼」、その後は佐賀県の有田駅から出荷されることから長らく「有田焼」として流通することに。そのため、「波佐見焼」の名前が表舞台に出ることはあまりありませんでした。しかし、転機を迎えたのは、2000年ごろ。近年の産地偽装問題をきっかけに生産地表記が厳格化されます。絶大なブランド力を誇る有田焼と袂を分かつことになりました。

当然、「有田焼として売れているものを、わざわざ波佐見焼と名前を変えて売る必要があるのか」と反対意見が多く寄せられました。そんな窯業関係者を説得し、波佐見焼として再スタートするために音頭を取ったのが、当時商業組合の理事長を務めていた西海陶器株式会社の会長である児玉盛介さんでした。創業60年になる老舗の陶器商社である同社の小林常務に、当時を振り返り、波佐見焼が新たな一歩を踏み出して今に至るまでの取り組みについて教えていただきました。

「我々の波佐見焼は、今まで頼りにしていた有田焼ブランドを捨てるということから始まりました。まず最初にしたことは、波佐見焼そのものを問い直すこと。波佐見焼とはなにか、有田と波佐見の違いはなにか。最終的に決まったコンセプトは、庶民の器を作り続けてきた波佐見だからこその『時代や生活に合った器』を作ることでした」

白磁に呉須(藍色)を用いた「染付」は、波佐見焼の昔ながらの技法。長らく親しまれてきた網目文などの伝統文様のほか、近年では、現代的でシンプルな絵付けの器も増えている。

裕福な鍋島藩に属した背景からお殿様に献上する豪華絢爛なやきものをつくる有田に比べ、財政の苦しい大村藩に属した波佐見では藩主大村氏が朝鮮から陶工を連れ帰ったことから始まり、庶民にも手の届く商品作りを目指してきた歴史があります。この再スタートを迎えて、長崎県立大学の教授の協力も得て波佐見焼の原点を改めて掘り下げ、地元の窯元の共通認識をすり合わせ、地域を牽引することを目指して、何度も勉強会を重ねたと言います。

「有田焼の縛りから外れたことをポジティブに捉えれば、徐々に自由な発想ができるようになりました。コーディネーターを入れて商品開発することでそれぞれの個性が出て、商品自体も新しくなったと思います」

西海陶器では、新ブランド「Common」が立ち上げられました。コンセプトは、「地域や時代に影響されない、毎日の生活に馴染む食器」。ニュートラルで無駄がない、どこか親しみのわく、あたかもずっと昔からあったような形を目指して生み出されたこのブランドは、見事、2014年にグッドデザイン賞を受賞します。

日常使いしやすい器を追求した「Common」は外部のデザイナーを招き、西海陶器、東洋佐々木ガラス、燕新興産業とともに地域を横断して誕生させたテーブルウェアブランド。

ほかにも、産地問屋(外部からの注文をとりまとめて職人へ発注し、完成品の配送などを担当する分業の一工程を担う仕事)であるマルヒロは、外部のコンサルタントとともに「60年代のアメリカのレストランで使われていた大衆食器」をテーマにカラフルでポップ、機能的で丈夫なアイテムが揃う「HASAMI」を発表。波佐見にある窯元がそれぞれの色を出し、波佐見焼の可能性を広げていったのです。

自分だけが売れればいい、じゃない。
利益が出るならば、地域にまわせ。

しかし、軌道に乗り始めたのはつい4〜5年前のこと。そこに至るまでは、波佐見焼を売り出すことを決意したものの有田焼としての流通時に比べると売り上げは激減。市場での有田焼の影響力はとんでもなく強い。だからこそ、やきものそのものだけではなく、波佐見という地域全体を売り出し、地域ブランドを高めることが必要だ、と小林常務は考え始めたと言います。

「値段で勝負する時代ではないので、物自体の価値をどう高められるか、伝えられるかが勝負ですよね。それはつまり、人対人。そこで作り手の思いをきちんと伝えるためには、波佐見の工房に来てくださる人をきちんと増やして、想いをちゃんと伝えきることが必要。そうでなければ、価値は高まらないから」

実際に波佐見を訪れてくれた人に、地元の人たちが直接、やきものや地域の魅力を伝えるため、波佐見では、地域に息づく本物の暮らしを体験する「とうのう」を実施。陶芸の「陶」、農業の「農」を合わせて「とうのう」。やきものの生地づくりや下絵付け体験、自分好みのほうじ茶や玄米茶を作るワークショップなど32種類のプログラムが年間を通して実施しています。そうして「来なっせ100万人」のスローガンのもと、波佐見エリア全体への求心力は徐々に高まっていきます。

波佐見の郷土料理「なすび飯」「田作り」「ざぼん漬」などを教えるワークショップに、小林常務(左奥、黄色いアウターの男性)とともに。

そうした動きのなかで、新たな観光拠点がいくつも生まれました。廃業された製陶所の跡地を再開発し、カフェやグローサリー、地元川内で育てられた米を使用したにぎりめし屋などが立ち並ぶ「西之原」もそのひとつ。かつての面影を残しながら、現代的な感性が集う空間として、町の外からも人が訪れるスポットです。

「波佐見に関わるコーディネーターから『観光地としては、滞在できるスポットが最低でも3箇所は必要』という話があったのとほぼ同じタイミングで競売に出されたのがここ西之原でした。なにか目的があって(西海陶器が)購入したわけではなかったのですが、たまたま波佐見に遊びにきた若い陶芸家を泊めたことをきっかけに、外から来た若者が中心になって新しい店舗ができていって。そうやって、毎年1店舗ずつオープンさせて、15年かけて今9店舗目。ここで我々がなにかを作ったというよりも、若い人たちがチャレンジできる場所を作って任せただけ。すると、自然とそういう風が吹くようになったんです」

設備を全て預け、「任せただけ」と語る小林常務ですが、「観光産業を重要視しながらも観光客の消費行動に迎合せず価値あるものづくりを追求するべき」という考えについては、厳しい口調に。

「『観光客目当ての商品を置くな』って口を酸っぱくして言っていますよ。『きちんとしたものを置け』と。南創庫(西海陶器が運営する波佐見焼の販売店。西之原エリアにて展開)では一切値引きしない。定価よりも安く売る代理店やお店には、我々の大事な商品は納めません」

丁寧につくられるものの価値を知る人にこそ来て欲しい。地域の宝を自分たちで守り、誇り、伝えきることが地域のブランド力を高めるのだという、小林常務の意思が感じられます。

西之原にある「南創庫」は、西海陶器が所有する器が国内で一番多く見ることのできる場所。波佐見に工房を構える、複数の窯元の器が揃えられています。

ムーブメントを起こすのは、いつでも異端児

現在、波佐見を訪ねる人が必ず訪れたいと思う、西之原エリア。このエリアの活性化にひと役買ったのが、町外から訪れた若い陶芸家でした。この陶芸家が招いた知人が今度は、カフェレストラン「monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)」を開きます。現在、monné legui mookは、西之原を代表するカフェレストランとなっています。そして、彼ら二人の活動を見た若い人がさらに集まってくる……と数珠繋ぎのように町外から人が引き寄せられ、波佐見地域は急速に盛り上がりを見せます。時には、彼らのこだわりと、児玉会長らのこだわりがぶつかり合い、喧嘩をもたくさんしたのだそう。しかし、そんな「外の人」からの視点によって波佐見の人たちの意識も変わったのだそう。

「極端に言うと、私と児玉会長がまず変わりましたね。新しいものを作るのではなく、今まで培われてきた暮らしぶりや建造物に宿る時間に魅力があるのだと気付かされました。彼らが、ありのままの波佐見を肯定してくれたから。それで町民たちも自分たちの身の回りにあるものの良さに気づけたんだと思います」

ギャラリーの奥に位置するmonné legui mook。西之原が盛り上がる起点となった。

カフェレストラン「monné legui mook(モンネ・ルギ・ムック)」

外からの人との交流によって意識が変わったのは、波佐見焼を作る職人たちもまた同じ。体験型観光の一環として実施された生地屋の仕事体験(鋳型に土を流し込み、焼き物の素地を作る)では、それまで下請けとしての意識が強かった職人たちが、体験者からの高い評価に直接触れ、自身の技術に自信を持つように。さらには、鋳込み仕事に興味をもって働き手として工房に来る若者の存在もまた、職人たち自らの仕事の魅力を自覚するきっかけになったと言います。

「方向性さえきちんと固まれば、そのあとの変化は意外と早いんですよ。1年で変化が起こりましたから」

「いつまでたっても少数派 ずっと少数派」を謳い、アートと窯業、デザインと農業など、ヒトやモノを繋げて波佐見発信の新たな文化や価値観を作り出す一般社団法人・金富良舎(こんぷらしゃ)副代表の里山賢太さんもまた、波佐見地域にムーブメントを起こしたひとり。現代陶芸家である松井利夫さんとともに立ち上げたプロジェクト「HASAMI 18 gold」では、美術工芸科に通う高校生と地元産業界の若手が共同で架空の会社を設立し、「アート=生きる技術」としての教育を見つめ直しました。「ハッピータウン波佐見祭で」は、身の回りの小さな市場とアートを繋げ、カメヤマキャンドルハウスとコンプラ瓶型の灯篭を用いたインスタレーションを実施。若いクリエイターを支援する地域としての方向性を、町内外に明確に示しました。

「僕たちは、(チームの中に)若い人たちを取り込まなければならないという考えは捨てたんですよ。それよりも見せる、『ただ見せ続ける』ということが大事だと思うようになって。町の人たちにとっては、僕たちのやっていることの訳がわからない方ももちろんいらっしゃったでしょうけれども、それでも時間をかけて活動してきたことが今の波佐見に繋がっていったんだと思います」

言葉は違えど、里山さんと似たことを小林常務も言います。

「まず、やれる人がやること。全員がいいということは誰も成功しないということですから。新しいことをしようとすれば、絶対反対を受けるんですよ。だから反対があってもやり続けられるのは個人の力なんです」

視察の学び

波佐見の方々のお話を伺い、参加者のひとりは、「みんなで足並みが揃わなくても、自分が面白いと思うことをはじめ、その想いを共感し合える同士で進めていければ。なにかを成し遂げるためには、喧嘩や意見の対立も必要な通過点だと思う。それをいかに思い切って言い合えるのかというところも成功の鍵になるのではないでしょうか」と話します。まずは自分から。そんな気持ちにさせられるのは、逆風を受けながらも先陣をきった人たちがいると知ったから。そして、ひとりで始まったことでも、いずれ仲間ができると知ったから。

そうして行動する人に対して、町役場の職員のひとりは、「すぐに芽が出なくても、我慢して、成功するまでやり続ければ失敗にならない。それを信じて、長くかかるかもしれませんが成功目指して一緒にやっていきましょう」と声をかけます。民間にできること、行政にできること。それぞれの立場から、会津美里町で何ができるのか、あらためて考えてみたいと思います。

レポート後半では、温泉やお茶、そして波佐見焼同様、有田焼から独立した「吉田焼」のある長崎県嬉野市を訪れた学びをまとめています。波佐見焼とは異なるアプローチで地域とやきもの、そして観光資源を横につないだ施策の姿を訪ねます。

 

写真・文:『会津美里の日々』編集室